ダンスとキャリア、どちらも諦めない道をつくる

柴田菜々子さんは、広報として株式会社ビースタイルに入社して3年目。“週に3日勤務の社員“という特殊な働き方をしています。キャリアのことだけを考えれば、フルタイムで働いた方がいい。それでも週3日勤務を実現させたのは、仕事以外の大切なもののためでした。


アルバイト先で社会の面白さをのぞき見。一転して就職する気持ちに

「物心ついた頃からずっと踊っていました。本格的に始めたのは8歳からの新体操。それ以来ずっと『踊っていてあたりまえ』という生活です。大学もダンス専攻でした」

柴田さんが仕事以外で大きな時間を使っているのは、ダンス。それもコンテンポラリーダンスという芸術色の強いもので、大衆に受け入れられやすいミュージカルなどとは一線を画します。

「大学時代の仲間は、ダンスを続けるために就職をしない人がほとんどでした。ダンスだけで食べていけるのは、ほんの一握りの人なので、まずはアルバイトで生計を立てるという選択をします。私も卒業後はそのつもりでした」


ところが、大学時代にアルバイト先のバーで接客をしながら「大人の社会」や「ビジネスの世界」に興味を持ち始めます。仕事を楽しんでいる大人たちと接することで、「サラリーマンなんてつまらない」という固定観念にとらわれていたことに気がついたのだとか。


「『ダンスだけにどっぷり浸かって大人になるのは、恐いことかもしれない』と思いました。試しに就職活動を始めたら、いろいろな話が聞けたり、違う世界が見えることが面白くて。内定をいただいた会社の中から、個々を活かす社風を持ち、イキイキとした社員が多いビースタイルに決めました」


仕事は楽しいものの、ダンスができないことへのもどかしさに苦悩

大学時代は、2歳年上の先輩メンバーたちと、4名のチームを組んで活動。柴田さんだけが就職しましたが、卒業後も同じように続けていくつもりだったといいます。

「働き始めても、なんとか両立できると思っていました。でも、仕事が忙しくなると夜遅くまで働く日も珍しくありません。他のメンバーは平日もたっぷり練習しているのに、私は土日だけ。ダンスの振りを覚えるのに精一杯で迷惑をかけるし、作品の追求も思うようにできないもどかしさを感じていました」

がむしゃらに仕事に励んでいた社会人1年目が終わる頃、「ダンス欲」がむくむくとわき上がってきたのだそう。

「もっとダンスがやりたいけれど、社会人として育ててくださった会社の先輩方に申し訳ない気持ちも大きくて…。『退職』という選択肢を胸に秘め、悩みながら2年目を過ごしました」


社長に突き返されてプランを練り直し、週3勤務を提案

しかしダンスへの気持ちはどんどん大きくなり、2年目の2月、もうすぐ3年目に差し掛かる直前、初めて上司に相談します。

「『もっとダンスがやりたい』と正直に伝えました。『ダンスについては親身になって理解し切れない部分もあるけれど、キャリアを考えて、仕事は続けた方がいい』とアドバイスをくれ、さらに社長と相談の場を設けてくれました」

ところが社長との面談でわかったのは、自分の考えをまとめきれていなかったこと。再度今後のプランを立て直してくるように、と突き返されることになりました。

「ただ『ダンサーになる!』とだけ思っていました。ダンスを続けてその先に何があるのか、恐くて考えたくなかったのだと思います。社長に『将来のビジョンがない人は絶対失敗する』と言われ、仕事も含めた将来をちゃんと考えなくてはいけないと思い知りました」


その後、ダンスのこと、仕事のことを、じっくり考えることになります。

「ダンサーだけになりたいわけではない、ということがわかったんです。働くことも好きで、社会の一員として影響力のある仕事を任され、広報として発信していくことにやりがいを感じていました。ダンスだけではなく、働くことも自己成長につながると思ったのです」


舞台に立つ回数と、そのために必要な練習時間などを練り直し、「週3日勤務なら両立できる」という答えを出した柴田さん。社長に提案すると理解を示してくれ、“週3日で働く広報”が誕生しました。

ダンス×広報の相互作用が生まれる

子育てなどのやむを得ない時短勤務と違い、自分で決めて選んだ働き方。迷いがなかったかといえば嘘になります。

「若いうちは仕事に時間を費やした分成長できると思うので、10年後に同期とすごく差が付いていたらどうしよう、という気持ちはあります。ダンスも同じで、私以外のメンバーはもっともっと練習しています。どちらも中途半端になってしまうのではないかという、自分の中で感じる怖さはあります」

それは、柴田さんの正直な気持ちに違いありません。


「でも、自分で選択したので、やるしかありません。今のところ、週3日勤務になっても、成果はフルタイムの時とあまり変わっていません。それは、無駄が多かった業務を改善したり、より専門性の活かせる仕事で勝負するなど、やり方を変えたからだと思います。また、自分だけで抱えていたものを、周りの力を借りてできるようになってきました」

仕事を続けてスキルを高めることで、ダンスによい影響もありました。

「平日も2日間レッスンできるので、ずいぶん心の余裕ができました。以前より作品と向き合えるようになったと思います。また、公演のスケジューリングやプランニングを段取りよく進められるようになったり、他のダンスチームの広報活動を手伝う機会にも恵まれました」


大学生の時に直感した「社会を見ておきたい」という考えが、ここまでの道筋を作ることにつながりました。ほかに、作品と向き合う想像力も、仕事での新たな発想や企画に役立ち、よい相互作用を生んでいるのだとか。


どちらも大切な「自己表現」のかたち

柴田さんにとってダンスとは、また「はたらく」とは何なのでしょうか。別々に質問をしたら、意外な答えが返ってきました。

「どちらも、同じかもしれません。自分を豊かにするもので、自己表現のかたち。仕事が忙しいと週3以上の勤務をすることもありますが、それがずっと続くと息苦しなることも…。でも、たぶんダンスだけでもダメなんです。両方があって、ちょうど心のバランスが取れるのだと思います」


誰かに与られたのではなく、柴田さんが自分で作ってきた道だからこそ。また、これから働く人のロールモデルとしての役割もあります。

「ダンスの後輩には、自分の経験から『絶対就職した方がいい』とアドバイスしています。また、社内には、ライフスタイルが変わっても、会社を辞めずに働き方を変えてきた人がたくさんいます。そのためには、働く方が権利を主張するだけではなく『これだけの成果を出すから』と覚悟を示していくことが大切なんだと思います」


大切なものが2つあるのは楽しい反面、どちらも全力投球するために大変な面もあるはず。それでも、2015年の1月からはダンスのソロ活動も始め、歩みを止めることはありません。ダンスとキャリア、2つの羽をまとって空に舞うように、柴田さんのステージはどんどん高くなっていくことでしょう。



取材・撮影(インタビュー)・文:栃尾江美(アバンギャルド/WOOTS)

撮影(ダンス):bozzo